ガザ南部に住む37歳の主婦サマールさんは4人の子どものお母さん。
サマールさんの日記が伝えるガザの日々。

2025年5月16日(金)

今日は砲撃が絶え間なく続きましたが、砲撃かF-16戦闘機かわかりませんでした。爆発音でほとんど眠れませんでした。目が覚めると、妹が戦闘が始まって以来13回目の自宅から避難をさせられたことを知りました。激しい砲撃、家への攻撃と焼き討ち、そして戦車の突然の侵入に妹はショックを受けていました。妹は自分の持ち物、夫と息子たちのわずかな持ち物しか運べませんでした。真夜中に彼女らは逃げました。これは容赦のない犯罪的な行為です。

殉教者と負傷者の数は増え続けています。病院は今日、多数の重症例が発生していることから、人々に献血を呼びかけていました。最近の攻撃、特にハンユニス南東部の病院が周辺を9発以上のアメリカ製の爆弾で攻撃され、いまだに攻撃を受けています。負傷者はほかの病院に搬送されました。

私は何を書けばよいでしょうか?ガザの状況は言葉では言い表せないほど悲惨です。以前もお伝えしたように、私たちは死刑を宣告されていますが、まだ私の番ではありません。

生活はどれほど困難になったことでしょう。今日は朝食に牛乳入りの紅茶しかなかったので、市場へ行き、値段が高いにもかかわらず野菜をいくつか買って帰り、昼食を作りました。気分転換に、ナスとジャガイモのシチューとご飯を作りました。いつも通りの家事をしました。

また避難させられるのが怖いのです。もし避難の脅威にさらされた場合に備えて、物資を入れる袋をいくつか用意しようと思っています。それは私たちにはわからない運命なのです。

壊された家々


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